ペプチド医薬は一般的には生体内での分解が速い、経口吸収性や細胞膜透過性に劣るといった問題点があるとされてきた。そのペプチド医薬の常識を破るべく、特殊ペプチドで「日本発・世界初の新薬の創出」を目指すペプチドリーム株式会社(以下、ペプチドリーム)。創業以来社長を務めてきた窪田規一氏とコア技術の開発者である東京大学大学院理学系研究科教授の菅裕明氏のビジネスと研究のセッションが、国内外の製薬企業を巻き込み始めている。

菅 裕明(すが ひろあき)氏(左)
1994年2月 米国マサチューセッツ工科大学化学科卒業 Ph.D.
1994年9月 米国マサチューセッツ総合病院 ハーバード大学医学部 博士研究員
1997年9月 米国ニューヨーク州立バッファロー大学化学科助教授
2002年9月 米国ニューヨーク州立バッファロー大学化学科 テニュア准教授
2003年4月 東京大学先端科学技術研究センター 准教授
2005年1月 東京大学先端科学技術研究センター 教授
2010年4月より 東京大学大学院理学系研究科化学専攻生物有機化学教室 教授
窪田 規一(くぼた きいち)氏(右)
1976年4月 日産自動車株式会社 入社
1978年7月 株式会社スペシアルレファレンスラボラトリー(現(株)エスアー ルエル)入社
2000年11月 株式会社JGS設立 専務取締役
2001年4月 同社 代表取締役社長
2006年7月 ペプチドリーム株式会社設立 代表取締役社長 (現任)
生命の根本原理の追求から生まれた新技術
RNAワールド仮説では触媒活性をもつRNA、いわゆるリボザイムがRNAの複製やタンパク質の合成を担ったと考えられている。菅氏もこのRNAワールドに興味を持ってリボザイムの研究にのめり込んだひとりだ。基礎研究だけでなく、役に立つRNAを作りたいと思いながら、翻訳過程でtRNAのアミノアシル化を触媒するアミノアシルtRNA合成酵素の役割を持つリボザイムの研究に取り組んだ。自己触媒作用で自身をアミノアシル化するtRNAの創製に挑戦すること数年、ニューヨーク州立大学バッファロー校で研究室を構えていた時にペプチドリームのコア技術のひとつである、非タンパク質性アミノ酸をペプチドに導入するRNA、フレキシザイムの原型が生まれた1)。「アメリカ発ですが、インターシップとして来ていた東大生の斉藤博英君が出した結果なので、日本人が作った技術なのです」。さらにフレキシザイムのブラッシュアップに大きく寄与し、のちにペプチドリームの役員にもなる村上裕氏がポスドクとして菅研究室に合流する。「村上君がよりシンプルで活性の高いフレキシザイムを作ってくれました。当時はまだタンパク質を作っていて、GFPに非タンパク質性アミノ酸を取り込ませたりしていましたね」。
ペプチドへ
2003年、菅氏は准教授として東京大学先端科学技術研究センター(以下、東大先端研)に着任し、活躍の場がアメリカから日本に移る。着任して間もない頃、現在につながる研究の方向性を決めた。「ある時、大学の会議が始まるまでに時間があったので、キャンパスに向かう途中のコーヒーショップで、村上君に次に研究室に来る学生からはタンパク質はやめて全部ペプチドにしようという話をしました。環状ペプチドでいこうと」。学生に言い続けるうちに、いいアイデアを次々と出してくるようになった。加えて自然で起こっていることと同じ反応こそいいものを作ることにつながると考える菅氏は、ペプチド合成が終了すると同時に環化が完了する反応系を構築するなど、特殊ペプチドの技術に磨きをかけていくことになる。
ガレージからの出発
自身の親が中小企業の経営者で、その経営を傍らに見ながら育ち、俺は商売人の子だと笑う菅氏。経験からくる嗅覚が先まで見通して、良きパートナーである現社長の窪田氏を探し当てたとさえ思える。臨床系の企業に長年務め、ペプチドリーム以前にもベンチャー企業の社長経験を持つ窪田氏から見て、「菅さんは、他の研究者とは違うな」と映った。「私はアカデミックとして技術を作るところはしますが、製薬企業との共同研究は絶対にしません。製薬企業との共同研究はペプチドリームがやる。ペプチドリームでやるべき研究は菅研では絶対にやりません」。菅氏はきっぱりと言う。ここまで明確な線引きは、日本では珍しいのではないか。アカデミック側が資金計画まで含めた経営に首を突っ込むと、会社として自立できない。だから、それはしない。2人は意気投合し、固く約束をかわした。菅氏がペプチド創製に関わる基礎研究を深め、ペプチドリームで使える技術は東京大学を通じてペプチドリームにライセンスするというスタンスはこの時にでき上がっていた。会社を立ち上げ、オフィスが東大駒場リサーチキャンパス内の施設に決まった後は、菅氏がセンターの事務に掛け合い、いらなくなった中古の実験台や事務机を集め、菅研の台車を借りてペプチドリームのオフィスまで運び、窪田氏がドライバーで机を組み立てた。でき上がったオフィスはガレージさながらだったと2人は楽しげに振り返る。世界の製薬企業を納得させる特殊ペプチド創薬技術を持つペプチドリームは、こうして始まった。
本気同士のセッションが本物を生み出す
フレキシザイムと再構成無細胞翻訳系をベースにして特殊ペプチドライブラリーを構築するFlexible In-vitro Translationシステム(FITシステム)とペプチドライブラリーからターゲットタンパク質に高いアフィニティを持つペプチドをスクリーニングするRAndom Peptide Integrated Discovery displayシステム(RAPID displayシステム)をあわせたPeptide Discovery Platform System(PDPS)。このPDPSによって、数千億〜数兆個という莫大なペプチドライブラリーからリード物質(特殊ペプチド)のスクリーニングまでを自社で完結させてしまうインフラが整った2,3)。
当初から技術に自信はもっていたが、環状ペプチドのアライアンス先が国内外あわせて7社まで増えるとは2人とも思っていなかったそうだ。海外のペプチド医薬の競合でもアライアンス先は最大で2社というからその評価の高さは明らかだ。アライアンス先が求めるものを出せるからと窪田氏は説明するが、そこにはひとつの条件がある。それは、相手が本気でプロジェクトにコミットしてくれることだ。「ターゲットタンパク質の情報を最大限開示してくれる企業でなければ組みません。その情報を活用してこそ、求める特殊ペプチドを作るためのmRNAの設計や、ライブラリー構築ができ、求めるものがとれるのです」(窪田氏)。「絶対とれますもんね。ペプチドリームは常に全力投球ですよ。だから、相手も全力投球してくれるところであればうまくいきます」(菅氏)。11兆個のライブラリーを駆使し、低分子でも抗体でもとれなかったリード物質をとったこともある。
何年後に自分たちで開発した特殊ペプチドが世の中に出てくるかが楽しみだと2人は口をそろえる。膜透過性の高いペプチドの探索システムなど、その次を担う技術も整いつつある。会話の中からひしひしと伝わってくる窪田氏と菅氏の信頼関係と特殊ペプチドでの創薬にかける情熱。そこに製薬企業が本気で加わった時、特殊ペプチド医薬の夢がひとつ、またひとつと叶っていくことだろう。
1) Saito, H., Kourouklis, D., Suga, H. An In vitro evolved precursor tRNA with aminoacylation activity. EMBO Journal (2001), 20, 1797-1806.
2) 林 剛介, 大城幸紀,菅 裕明. 特殊環状ペプチドの翻訳合成と医薬品探索への展開. 生化学. 第82巻. 第6号. (2010), pp.505―514.
3) 山口 淳, 加藤 敬行, 菅 裕明. 遺伝暗号のリプログラミングを用いた特殊ペプチド創薬. Drug Delivery System. (2011), 26-6.